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1.16 sat − 2.27 sat 2021

塩原有佳BLACK ON BLACK

Yuka Shiobara

1985 茨城県生まれ
2007 アカデミー・ミネルヴァ(オランダ)短期交換留学[−2008]
2008 名古屋造形大学洋画コース 卒業

主な個展
2019 「図像の手触り」関内文庫、神奈川

主なグループ展
2013 「盆栽 TIME&STYLE×加藤 蔓青園」TIME&STYLE MIDTOWN、東京
    「ART IN TIME&STYLE VOL.12 PAINTING」TIME&STYLE MIDTOWN、東京
2012 「アテンプト4」カスヤの森現代美術館、神奈川
2011 「SCENE 1」TIME&STYLE MIDTOWN、東京
    「Ink on Paper: Printed at Itazu Litho-Grafik」TIME&STYLE MIDTOWN、東京
    「密度Ⅱ」アートラボあいち、愛知
2010 「千代かイワン」現代HEIGHTS、東京
2009 「絵画人間」多摩美術大学絵画北棟、東京
2007 「Hard Romantic」アートフェチ、愛知

光を示す 塩原有佳「BLACK ON BLACK」

塩原有佳は一貫して装飾の要素を絵画に取り入れてきた。たとえばシェル美術賞2020に入選した《無題》(2018年、本展未出品)の場合、画面中央の部分には赤い滲みのようなものが認められるだけで、何か具体的なモチーフを描いているのか、それとも抽象表現なのか判別することができない。一方、画面の左端を縦に横切る部位には、ギンガムチェックのパターンが明るい色彩で描かれる。このように、塩原は中央の不鮮明なイメージに対し、帯状の装飾を画面の端に配する。私たちはしばしば画面の中央から絵画の鑑賞を始めるが、彼女の描く茫漠としたイメージにぶつかったとき、視線はさまよい、やがて明確な形態をとる装飾へと導かれる。視線を上下左右に惑わせることで鑑賞者を不安に誘い、予定調和的な鑑賞をさまたげるのである。
こうした絵画の構図は今回の出展作品にも共通しており、とりわけhibitのスペースに展示されたものは絵画の上下左右いずれかの端に帯状の装飾が配される。しかし、装飾以外の画面が黒色で占められている点で、本展の作品は従来のものと異なる。しかも、透明な黒色の層の向う側には、明らかに何らかの具象的なイメージが描かれているのである。オイルパステルの黒い線で描かれたそれらのモチーフは、視界がひらけていく平坦な風景や、絡み合う草と低木など、どこかデューラーの素描を思わせる。映画の撮影技法に、カメラのレンズに特殊なフィルターを取り付けることで昼間の映像を夜に見せかける「アメリカの夜」というものがある。これらの絵画はちょうど「アメリカの夜」と同じように、モチーフが透明な黒色のフィルターを透かしてぼんやりと浮かび上がってくる。
ところで、筆者はいま「モチーフが透明な黒色のフィルター」に覆われているかのように記した。しかし画面に接近して眺めると、当初の期待は裏切られる。オイルパステルの描線は画面全体を横断する透明なストロークの層に覆われているのではなく、その逆に、透明な絵具層の上に載っているのである。遠くから眺めたとき、わたしたちの認識上のレイヤーは下から具象モチーフ→透明絵具の順で重なっているが、近くから眺めるとその順序が入れ替わる。これら不鮮明の黒い絵画は、鑑賞者の遠近や見る角度によって、イリュージョンと絵具の物質感とがかわるがわる反転するのである。
なお、作家本人の言葉によると、黒色透明の絵具層は、黒の絵具に乾性油をたっぷり加え、画面全体に刷毛目が残るように描いているという。平滑になった層の上にパステルを置くことには剥落の危険がともなうだろう。しかし、塩原は危険を承知でこの手法をとっている。わたしたちの認識をゆるがす不鮮明なイメージは、絵画制作のセオリーに逆らうことによってはじめて実現するのだ。
 同様の技法はギャラリーに展示された作品にも見出せる。ところが、ここでは装飾が帯の形態をとらず、画面全体に赤、青、黄、緑の円が点々と散っている。これらの配色は光と色の三原色に対応しており、まるでイメージから色彩だけを吸い上げて光の粒に固めたようだ。星を描いた作品でも同じ現象が起きている。つまり、具象的なイメージは黒い線でのみ描き、色彩は星や円など光を記号的に抽象化して描くのである。
中世ヨーロッパの哲学者たちは、神の存在を説明する際に光の比喩を用いた。光はものを見えるようにするが、光そのものは見ることができない。仮に光そのものが見えるようになったら、ものを見ることを妨げるからだ。塩原は、人間に色彩という光を視覚認識の対象から分離し、装飾のかたちで絵画にちりばめることで、見えない光を示そうと試みたのではないか。

安井海洋(美術批評)

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